FREECEL特別号16

いまさらフリーセルについての感想なのですが、実はシゲちゃんが閃光スクランブルについて語ってるインタビュー雑誌まだ私は読んでいません。


詳しい情報をあまり入れずにまっさらな状態で偏った考えを持たずに読みたかったので実はあらすじもほとんど読まずによみはじめました。

ピングレのときがほぼ前情報入れずに読んであの衝撃だったので。閃光スクランブルもそうしようかなっと。

だから前後しますが、いまから閃光スクランブル関係の雑誌を読んで……、もっかいあらためて丁寧に閃光スクランブル読んでみたいと思ってます。



まずはFREECELから。


中村一義は、最初僕はわからなかったんですよ。すごいすごいって言われているけど、何がすごいんだろうって言われているけど、何がすごいんだろうって。だからずっと聴いていたんですよ。評価されているけど理由がわからないものって気になるんで。

閃光スクランブルではいたるところでシゲちゃんの趣味であるカメラだったり音楽だったり映画の話が出てきました。小説に出てくる曲を聴きながら閃光スクランブルを読むのも粋な楽しみ方だなって思いました。いわゆる渋谷系といわれる音楽。正直私はその世代ではないのですが、気にはなっています。それこそシゲちゃんが言ってるけど良いと言われるもの、なにがいいのか聴いて体感してみたいなって思います

芸能界の話は書かないといけないかなと思ったんですけど、男性アイドルの話にしちゃうと俺がちらついて“シゲ、悩んでるのかな”みたいに思われるんで(笑)


これ読んであっ、て思いました(笑)。この前の記事で私“シゲが見え隠れする”って書いちゃったんですけど…(苦笑)シゲ要素、本人は入れるつもりなかったのかな。だけど慶ちゃんも言ってたし自然とこぼれちゃってると思うよ。


なんとなく出てくる登場人物とかはシゲの憧れもはいってるのかなって。巧の不器用ながらも相手を包み込むようなやさしさをもってるところとか、キザだけどあったかいお義父さんの大人の余裕だとか。女性だと亜希子、ユウア、香緒里。どれも魅力的な女性でシゲちゃんの理想なのかなっとか勝手にそこまで想像膨らんでしまいました(笑)

書き手を知ってるからこそ、それはいやおうなしにちらついちゃうよ。

まぁー、悩んでるまでは思わなかったけど。誰しも抱くものなんだろうなって。普段何気なく過ぎてく中で、見落としそうな小さな感情をうまく言葉にできる…。作家さんってすごい職業だなって思ってます。


『ピンクとグレー』のとき前半はわざとゆっくりきれいな描写を150ページくらいまで書いて、そこから急にダダダダって物語が動くのを狙いにしていたんですけど、前半で読むのをやめちゃってしまう方も多かったと耳にしたので、今回は文字数は多いんですけど、小説の構造的に、早く読めるようにエンタメ小説に寄せてみようという意図はありました。

小説読んでてこれまで読むスピードって意識したことなかったです。シゲちゃんの小説のすごいところのひとつってこの物語の進行とともに速度が変わるところ。ピングレのときに感じたんだけど、閃光スクランブルでは止まることなく常に動き続いてる感じでした。かといって振り下ろされるスピードとかではなく、前へ前へ、次へ次へとどんどんページをめくりたくなるそんな感じでした。


女性アイドルって、大変な世界ですよね。俺らも大変だけど、女性アイドルのほうが、男が抱えている悩みよりもっときつい悩みがあるっていうか。そういう部分は書きたかったです。男のアイドルだと、もうちょっと部活っぽくなると思うんですけど、女の子のアイドルの方がドロドロした人間模様みたいな大変さがもっとありそうで、そういう方向で書いていかないと、物語としてもおもしろくないというのもありましたし。それと亜希子とゴシップカメラマンとし亜希子のスキャンダルを追っている巧は最初は追いかけられる側と追いかける側だったのが、出会ってしまってから生まれる物語を書きたいと思っていたので

男性アイドルと女性アイドルの違いをこれまで意識したことがなかったのですが。アイドルが語るアイドル。私の知らない視点でシゲはこの小説書いたのでしょうね。同じものをみていてもシゲにはどううつるのだろうってふと思うんです。シゲの目で見たらどんな風にうつるのだろうと。


自分の立場も出るんだとは思うんですよね。書いてた時なんて、まだ「チャンカパーナ」が出るタイミングで。振付やりながら書いてたんですよ。


本当に人生の岐路に立ちながら作品を書いたんです。『ピンクとグレー』のときもそうなんですけど、自分が物語の中にいながら物語を書くっていうことになりましたね。それで自問自答みたいなことって、きっと出ちゃうんじゃないかなと思うんですよね。


(亜希子がステージから見えた光景の描写は新生NEWSのライヴ後に書かれたものか?)むしろ、前に書いててそのとおりだったんです。NEWSのライヴをやることになって、書き直すことになるかなと思ったんですけど、思ってた通りの風景がステージから見えて

私もこれ思ったんです。ライブの描写が印象的だったもので、てっきりライブ後に書いたのかなって。それくらい鮮明で。

だからこそ逆に、あのライブでステージ上から見える景色…、シゲにはどううつったのだろうって思いました。あの表情もこの表情も…、どんなことおもってるのだろうって。


小説を読んだあと、また違った見方ができるというか。



おもしろいですね。物語を書いてるひとが物語の中にいる。

これ書いてた時期がチャンカパーナ振付時期だったとのことで、またメイキング→秩父宮本編DVDみたくなりました。さらに深く楽しめるんじゃないかなーと。


それこそ、閃光スクランブルを読んでシゲのファンになった方に、ぜひ秩父宮ライブ映像みていただきたい!!


それってほんとグループに還元してるよなって。シゲってほんとNEWSのために書いてるんだな。



『ピンクとグレー』のときは、“俺はこういう作品が好きだ”みたいな感じだったんですけど今回は、もうちょっと、“なんかおもしろかったわ”みたいな感じに軽い感想でもいいかなと思うんです。

『ピンクとグレー』を書いたときから前の自分から脱皮できたと思うので、今度は作品を持てた上でさなぎから成虫になれるかという感じなのかもしれませんね。でもこの第二作もNEWSにいるから書けたんだろうなとも思ったんですよ。僕が本当に専業作家になったら、たぶん書けない。変わらないじゃないですか、景色が。NEWSでいると自分も動くし、毎日考え方も変わるし、周りの考え方も変わるし、それが自然に作品にフィードバックされると思うんです

昨日のシゲ部でもおっしゃっていましたが、ピングレは“これが俺だ!”という気持ちで書いたのに対して、閃光スクランブルはエンタメ小説だと。
NEWSにいたから書けた小説。これからのお仕事の中、シゲちゃんはどんなことを感じどんなことを思いそれを広げていくのか。アイドルとしても作家としても今後が楽しみです。

(ドラマのアップなどで)花をもらう機会が多くて。〜(略)〜男の人って花瓶とかもたないですけど、ちゃんと飾りたいっていう気持ちがあって、20歳のときに花瓶を買ったんですよ。〜(略)〜もらった花って1週間しかもたないじゃないですか。で、あいてる花瓶とかさみしくなって、ときどき自分で花を買うんですよ。で、買っていると、なんで僕にこの花をくれたのかなとか考えるんです。〜(略)〜その人の自分へのイメージが読み取れたりするんで、なるべく花に敏感でいたいと思うんです。


この感覚すきだなって。


『ピンクとグレー』のときは、何もすることなくて、ものを作るエネルギーで自分を引っ張り上げた気がしますけど、今回は、自分のいる立場から物語を紡いだっていう気がして、その変化は大きいですね

あらためてピンクとグレーも読んでみたいし、二作目出たばかりなのに、もう次の作品が読みたいです(笑)
いま次の構想を練ってる段階?それとも書いてるのかな?閃光スクランブルがあのライブ前だったからそれからまたたくさんの感情がシゲちゃんの中でそだってるんだろうなー。それをシゲちゃんがどういう言葉で物語にしていくのか…、楽しみにしてます。